昨年の10周年ライブ、「昼の部」のラストを飾ってくれたREMINGSのボーカル、
 セシル。

 持ち前の明るいキャラクターで、ステージを思いっきり湧かしてくれました。

 でも、笑いだけではない彼の熱い魂を感じとってくれた方も多かったのでは、
 と思います。

 この時の出演者の中で、実は一番付き合いが長いのが彼。

 6年間もボーカルを指導してきたものの、実際のステージを目にするのは
 初めてでした。

 そんな彼が、テーマソング作曲のためにスタジオに入った時に口にしたことは
 次の言葉でした。

 「先生、今回の曲、死をテーマにしたいんですけど…」

 それを聞いた時、

 『おっと、来たなぁ…(^_^;)』

 と思いました。

 これは、生半可な気持ちでGOを出すとタイヘンなことになるぞ、と直感したからです。

 そこから、丁寧にヒアリングをしていきました。

 「なぜ、君が死を語るのか?」

 彼は、大きな病気や怪我を経験したことがあるわけでもない。

 でも今回のお客さんの中には、生死の境を乗り越えてきたような友達もいる。

 それらの人の前で死をテーマに表現するには、それなりの覚悟が必要です。

 しかも彼は、そのモチーフとして、三島由紀夫を取り上げたいとのこと。

 三島由紀夫といえば、思想的な面や、割腹自殺など、非常にナイーブな内容を含みます。

 だから、一つ一つ問いかけていきました。

 「こういうメッセージを発した時に、こう受け取る人もいるかも知れない。
 ひょっとすると、こんな風に受け取る人もいるかも知れない。
 それに対して、君はどういうスタンスで臨むかな?」

 でも、最終的に彼はそれにこう答えました。

 「先生、ぼくはこれを自分のために歌います。
 自分に対して、『お前いったい、どうなんだ!?』とつきつけたいんです」

 その決意を聞き届けた瞬間、

 「わかった。よし、いけ!」

 と心の中でGOサインを出しました。

 たった一人のためのメッセージソングならば、ソングレターの世界です。

 しかもそれが、自分に対してのメッセージであれば、
 一切の批判は関係ありません。

 ただただ、自分に一番刺さる表現を思う存分やればいい。

 ステージで共演するということは、共に背負うということ。

 「私はこの人のメッセージに共鳴しています」

 ということを証明することです。

 語弊のある表現をあえて使うなら、「共犯」に近いくらいの意味があります。

 そこで起きるいっさいに責任を負うということ。

 だから時には、忌憚なく議論を交わす必要があります。

 でも、その覚悟があるなら、自信を持って一緒にステージに立てばいいのです。

 「燃え盛る太陽のように死にたい
 燃え盛る太陽のように死にたい」

 彼がこの二行に込めた叫びは、そのまま僕の叫びでもあると思っています。

 こちらで楽曲をご視聴いただけます。

▼『太陽の死に方』(セシル×安達充)
 https://youtu.be/ArWtbikeUqU

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           ~太陽の死に方~

                   作詞/セシル 作曲/安達充

 青年の夢
 市ヶ谷の駐屯地の空 灼熱の太陽を見た
 横一文字に裂けた空から  灼熱の太陽は語る
 「死の緊張感なくして輝く生があるだろうか?
 立派に生きたいのなら立派に死ぬことを考えるべきではないか。
 生の倦怠から目を覚ませ」
 思わず眼球を焼いてしまいました あこがれました

 私と言えば… 日々にうっすらと焦燥感敗北感を味わいながらも
 疲れに身を浸らせ とけるように安眠
 仕事の帰り道 酒など飲めば 生きる幸福に包まれてしまう

 そして 言葉がない 大義がない
 ただ、ただあなたに見えてる星がおれには見えない
 これを 生の倦怠と言うのならば
 これがあと10年20年30年と続くと言うのならば あぁ!

 燃え盛る太陽のように死にたい
 燃え盛る太陽のように死にたい

 空 太陽 横一文字の灼熱 あこがれ
 死、目前の輝く太陽曰く
 諸君のなかに一人でも俺と一緒に立つ奴はいないのか
 一人も居ないんだな
 いいえ。行かせて下さい。機会があれば共に行かせて下さい。
 と横一文字に張り裂けた遠い空に叫び祈り曰く

 燃え盛る太陽のように死にたい
 燃え盛る太陽のように死のう
 燃え盛る太陽のごとき死に様で
 あぅあぅあ 燃え盛る 太陽のように
 生きたい

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★『太陽の死に方』が収録されたライブDVDはこちらで購入できます。
 http://artistforum.base.ec/items/1280823 (昼の部)